ヴィシーチェック014

幼い頃に目にした価値観は意外としっかり根付いていたと言う現実

どうして家事や育児を楽しめないのだろう?と、ずーっと、思っていました。
楽しそうにしている人だっているのに。

ふと、思いついたのが私の幼少の経験です。
両親が仕事中心の生活で、家事や育児は「合間の時間で片づけるもの」というスタンスだったように、私の目に映っていたからです。(本意は違うと思いたいのですが。)

両親は団塊の世代どまんなか。高度成長に生まれ、給料は毎年右肩上がり。
ボーナスの度にさまざまな家電を購入していました。VHS、ワープロ、CDコンポ、エアコン、全自動洗濯機、etc・・・
残業すればその分給料は増えるし、ちょっとイヤなことがあっても終身雇用に退職金。勤め上げたあとは年金が待っています。

私自身も、もちろん、その恩恵にあずかってそだってきたのですが。

母が、ゆとりを持って丁寧な家事をする姿を見たのは小学校1、2年生の頃までかと思います。(それでもヤクルト配達や、タッパーウェアーの販売とか家でやってたw)

小学校3年生からは鍵っ子でした。

私の母は、フルタイムで保険の営業をしていました。

仕事中心の毎日で、夜も接待飲み、土日も集金やゴルフ、合間に家事を「片づける」ような暮らしぶりが加速していました。それでも時間の自由が利く営業なので、合間の時間にPTAもやっていたスーパーウーマンです。
私や妹が大きくなると二人で夕飯と言うこともすくなくありませんでした。

どれだけ仕事中心だったかと言うと、妹の高校の入学式にどうしても外せない用事があるからと、当時19歳フリーターだった私が保護者として妹の入学式にいったエピソードが端的に表していると思います。(当時は子どもの行事で父親が休むなんてことはまずなかったので。)

こんな生活をしていると

価値=「外で働くこと」>「家のこと」

と、インプットされてしまったわけです。知らず知らずのうちに。

その価値観を気づかないうちに自分に与えてしまっていたために、どんなに家事や育児をがんばっても「[合間仕事]で片づけることに一生懸命にならないと出来ない自分」という変な解釈をしていたように思います。

一生懸命家事や育児をすることが、外で仕事をすることより価値の低いことではない。

これを、自分自身に理解させることがとても難しいことでした。・・・いまも、理解出来ているか微妙ですが、気づくことが出来ました。

団塊ジュニアで、わたしのように陥っている人は少なくないと思っています。

冒頭に掲げた減らす技術 The Power of LESSという本の中に「本質に迫る」という言葉が何度も出てきます。私の本質を考えたときにどうもおかしな価値観があるように感じ、ここしばらく考え事を書き出していたら思い至ったのでした。

また、先日も紹介した

こちらの本が、自分の気持ちを整理してくれた気がします。

夏休み目前、いつもとはちがう生活リズムになる前に、気持ちの棚卸しができて少しラクになれました。

編集後記:
過去の母を振り返ると、時代もあり、母は「自己肯定感」を外の社会に求めていたのだと感じます。家事育児は「専業主婦なら出来て当たり前」と、思われていた時代です。どんなにすばらしく家をしつらえ、子育てをしたところでだれも褒めてはくれません。いまの男性と違い奥さんに改めて「ありがとう」なんて伝える人も少なかったと思います。外で働くことで自分を認めてもらう場所が欲しかったんだろうなあ、と、思います。

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