17 ナーバスとハッピー、そしてエンジョイ #ヴィシーチェック

1週間くらい実家に逗留した。ラクしようとおもって毎年いくのだけど、実家はすでに「よその家」だ。限りなく似ていても「じぶんの家」じゃない。ぜんぜん家事とかしてないのに、疲れに似た重みが溜まる。誰も起こすひとはいないのに早朝目が覚める。

家を出てからより、育った時間の方が長い家なのに不思議なものだ。

そんな中、従姉妹が気を効かせてこどもたちを遊ばせてくれるので本屋をたっぷりたのしんだり、美容院へ行ってみたりもした。

わたしが一人になっても行くところはたかがしれていて、本屋か文房具屋かコーヒーショップくらいのものだ。小確幸。

今年はそれに「ドラッグストア」も加わった。スキンケア用品やチープコスメ探しが楽しくなった。楽しいことが増えるのはいいことだ。小確幸。

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思い出は残るのではなくて「残す」努力をしないといけないんだ、と感じた夏休み。
少しのメモが残ってるだけでそのものの出来事と一緒に背景を思い出す事もできるけれど、メモも何もなければ何かしたはずなのに空白の一日になってしまう。
一枚の写真、一行の殴り書きでもいいから何か残そう。

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たくさんの「おめでとう」をいただいて至極恐縮。そしてやっぱり嬉しい。大人になってからこんなにおめでとうって言われるなんて思いもしなかった!

39歳。
わたしの母がこの年の頃、わたしは中学生だった。
バリバリ働く母をみながら育ち、父は夜中と、翌朝にすれ違うくらいだった。深夜にラジオを聴いてると父がミルクたっぷりのインスタントコーヒーを淹れて持ってきてくれた。夏はグラスに氷が浮かんでいて、冬はたっぷりしたマグカップだった。

それだけで満ち足りていた。

いつからか、親からの甘えを享受することができなくなった。気を遣うようになっていた。なにげない親の世話焼きを「世話焼き」と、捉える時点でもう子であることが終わっている。

育ちの途中の子どもは、親から与えられるものに遠慮はしないし、あって当然のものだ。

親としての自分は、まいにちイライラするし、怒ってばっかりだしなんだかなあ、と思うけど。それでもこどもたちはわたしを必要としているので親からのなにかを与えられるあいだは注いでおこうとおもう。
いつか自分でもういっぱいになりましたと、カップを下げる日がくるまで。

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