運動会じゃない二人三脚

Backpacks

教えるのは勉強じゃなくて「習慣と記憶」

このところ、毎日1時間以上長男の宿題に付き合い、朝と夕方時間を割いています。
なぜなら、放っておくとブラックホールのようなランドセルからくしゃくしゃのプリントがたくさん出てくるからですorz

朝は6:30に起こして返却されたプリントの間違いなおし、漢字ノートの間違いなおし、くもんの宿題を1枚か2枚(5枚/1日)。

夕方はくもんの宿題の残りとその日に出た宿題をこなす。だいたい両面プリント1枚と音読、漢字練習帳か漢字ノートです。

読んだことは無いのですがこの本の存在は知っていたので、「家でワタシが勉強を見る」という行為にすごく抵抗を感じていました。

でも、よくよく考えると勉強は教えていないのです。

ただ、勉強に取り組む時間のきっかけを与えて、隣に座り、終わるまで同じく部屋にいて終わりまで見届ける。
それだけ。そしてそれだけのなんと難しいことか。

次男の邪魔は入る、さっさと終わらせずに集中しない長男。
隣に座っているだけだからと、本を読もうにもちょっと目を離すと文字が雑になる。鉛筆をかむ、ぼーっとする、消しゴムを落とすetc・・・
一挙手一投足みてないとできないのか?!うがー!!!っ!!!って。

なります(苦笑)
最初は小さなことにイライラして、ほんっと。
ムダとも思えました。ただ座ってるだけで1時間なんて!

勉強に付き合うのやめちまおうかと思ったことも多々ありましたが、先輩お母さんがしみじみいうのです。「子どもが、おかあさんおかあさん言ってるあいだだけだよ。」と。

そうかー!そうだよね。
あと2、3年もすれば「うぜえ」とかいわれるんだ。きっと。
隣にいてほしい間は短い。だからこれはこれでムダではないんだ。
そう思えたらすっとラクになりました。

編集後記:
本日のfmjの記事を読んで自分がこの記事を寝かしているのを思い出しました。
ナカシンさんの「だっこ」と同様に、少し大きくなると距離は離れるんだけど、気持ちは自分にかけてほしい。そういう欲求が見え隠れすることがあります。自分自身も、大きなイベントより日々の小さなことの方が記憶に残ってたりします。子どもは「自分だけにかけてくれた時間」を良く覚えています。
ある日、風邪気味だったワタシはふとんで横になっていたのですが長男は「お水欲しかったり体温計いるときは言ってね。そばにいるから。」と、いいました。自分がされたこと、してもらってうれしかったことをちゃんと覚えているのです。「教えてくれたらご飯炊いておくけど?」にはびっくりしました!
さすがに教える余力がなくお礼だけ言いましたが、元気なうちにご飯炊き方を教えておこうと思った母でした。

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