親が子どもに与えるもの #2014クリスマス

gift

子どもに「完璧」はない

あたりまえだけど忘れてしまうこと。

子どもはいつも親の思った着地点に最初から到達できない。

たとえばわが家ですと・・・

  • 提出物を忘れずに出してくる
  • 宿題を忘れずにやる
  • 時間割表を読み教科書を揃える

大人にしてみたらなんてことのないモノゴトでも、子ども達はできた日できない日を繰りかえしながら身につけていきます。サラリと身につけたものってそんなに無いのです。

赤ちゃんの頃を振り返ると、歩くことだって1年くらいかけてすこしずつ身体が動かせるようになります。やっと1年から1年半くらいで最初の一歩を踏み出しました。

ついそれを忘れてしまうのです。または長くかかっていると、少しずつ進んでいることが見えなくて、「突然」歩けたように見えるのかもしれません。

大きくなると、ひとつの取り組みができるようになるまでのスパンが赤ちゃんの頃に比較すると、すこしだけ短くなります。だからこそできるようになるまでの要求が高くなりがちです。

この記事を書いたきっかけ

昨日のわが家クリスマスパーティーのブログ記事に感想を寄せてくれたイキブロのいっきさん。Twitterでのやり取りをしていたことがきっかけでした。

感じますとも!!

「あー、そんなこともあったねえ。」と懐かしく思い返すことがたくさんありました。

「スムーズにできたこと」

よりも

「ちょっとたいへんだったけどなんとか乗り越えた」

そんな物事の方が親子共々よく覚えていたりします。

  • 泣いて泣いて途中で舞台をおりたおゆうぎ会
  • 泣きながら途中で踊れなくなった盆踊り
  • 何度も書き直した漢字ドリル
  • ぜんぜん飛べなくて夕立を浴びながら飛んだ宿題の縄跳び

などが記憶に残っていたりします。
こうして人に言われてみると、過去の自分をフッと客観視できるものなのですね。
わたし自身も、うまくいったことより辛く苦しい(と、そのときは感じていた)時期がずっとずっと長くあって、いま振り返るとその時期があったからこそ今があると思えます。

過ぎた今だから大人はそう思えるけど、子ども達はこれからもそうですし、いまでもそうです。思い悩むこともきっとたくさんある。立ち止まることもある。

親が「完璧な舞台」を子どもに与えなくていいし、その必要も無い。
むしろすこし足りないくらいでちょうどいいのかもしれないと考えはじめています。

追記:もう少し掘り下げたいけど取り急ぎメモ。

私たちの世代は「望めば自分の努力で『何でも』手に入る(=今、手に入れてないのは自分の努力が足りないからだ)」と、勘違いしている最初の世代ではないかと思うのです。

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