暮らしをゼロベースで組み直す

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あいかわらず「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」を読み続けているのだけれど、何回かの通読のあと、気になるところをパラパラ読んでいたら「あれ?こんなことかいてあったっけ?」と、思った箇所がありました。
その箇所はわたしが経験した出来事が書いてあり、ものすごく腑に落ちるものだけど、わずか数行での説明なので、読み落としていました。

経験していても読み飛ばしてしまっているくらいサラっと触れられている箇所なので、わたしの経験を加えて、紹介します。

2014年夏の「ゼロベース」

わたしの、夏休みのおわり | くらしすたんと

人生激動期過ぎた2014年、より少なくしかしより良く活動する2015年 | くらしすたんと

この記事に書いた通り、去年の夏、派手な家族間抗争(人はそれを夫婦喧嘩と呼ぶ)の後、今までのタスク管理とか計画とか実行とかGTDとか、ほんとうにもうどうでもよくなって根本的に「私は人生をどうしたいんだろうか?」っていうところまで落とし込まざる得なくなりました。家族関係についても問い直していました。そしていったんすべてリセットしよう、今までこれを「しなければならない」と思っていたものを全部止めてみよう、と考え、実行したのが去年の夏、子供たちの夏休み時期でした。

それが、「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」でいうところの『ゼロベースで考える』(P190)を実践していたことになるのでした。まだ読んでいない頃だったけれども。

たとえば今の時間の使い方をいったん忘れて、何も予定のない状態にする。そして今日やるべきことをゼロから考えてみるのだ。これはお金の使い方や人間関係など、あらゆることに応用できる。(中略)ただ惰性でつづけていることは、すぐにやめるべきだ。

おなかが空いてから次の食事の買い物へ行き、着る服がなくなりそうになったら洗濯し、掃除は・・・週末に夫がみるに見かねて掃除機をかけていたように思います(あんまり覚えていない。)ゼロベースどころか私の場合はマイナスからのやり直しでした。たくさんのことができなくなって目の前のことをこなすのに精一杯でした。目の前のことさえできずに眠っていたこともありました。

わたしのなかのルールが崩れ落ちきったところからのスタートでした。いままで「すべき」と思っていたことは本当に必要なのかひとつずつ問い直し、見直し、もう一度形作っています。現在も続いています。

このときに私が得たものは「私が家事育児をすることが私の存在価値ではない」ということでした。ずっとずっと「やらされてる」と感じていたものが「自分で選べる」とわかったときの驚きはどう説明したらいいかどうしても文章にできません。

今までの私は勝手に相手の期待していることを想像して、期待通りにしなければならないと思い込んでいました。私の勝手な想像で勝手に「べき」を作り上げていました。いつもいつも「わたしはこれだけやっているのに!」とまで思っていました。

現在の私は「○○と△△と□□まではできる。しかし、これらをすると××はできない。したがって××はお願いしたい、または○○と△△と□□のうちどれかをお願いしたい」と、きちんと依頼ができるようになりました。自分勝手な想像の「相手の期待に応える」という無駄なことをしなくなりました。

今までとの違いはベースが「自分」であることです。

自分ができること、自分ができないこと、自分のやりたいこと、自分の役目。

選ぶ力を取り戻す

私はゼロベースどころかマイナスからスタートしたのちに、「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」でいうところの『第2章選択–選ぶ力を取り戻す』を体験していました。

あまりにも過去の自分に当てはまりすぎるので少し長いですが引用します。

彼らは投げ出すのではなく、逆に働きすぎる。あらゆる仕事を引き受け、どんな難題もあきらめない。何もかもをやろうとしている。一見すると学習性無力感とは無縁のようだが、よく話を聞いてみると、その活発さは単なる見せかけだということがわかる。自分では何ひとつ選べないからすべてを引き受けているだけなのだ。
彼らは選択肢を考えようとしない。言われたことをやるしかないと思い込んでいる。

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」 P56 より引用

「選ぶ力」についてはまた次の機会に書きます。

ただいま読書中

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