やりたいこととやれることのバランス

a0782_001032

春分も過ぎ、本格的な春を迎えようとするころになりました。
新しく何かを始めたいと思う季節。スタートダッシュをしがちな自分をちょっと抑えて、ほどほどの力加減を心がけています。

身体を動かすこと

4キロから5キロくらいのウォーキングをはじめました。いきなり「すわ!ジョギング!」張り切らないで、ゆったりと歩くところからのスタートです。30分ちょっとなので、隙間時間でサッと歩きます。
冬はすっかり身体を動かさずじーーーっとしていたので、そろそろ身体を動かそうと思えるようになってきました。気候がよく、温かくなるのはうれしいです。

春先は新しい環境になったり、新しい役目が増えたりちょっと忙しい時期で「あたふた・モヤモヤ・イライラ」することも増えます。
そんなときにサッと身体を動かして気分転換を図ります。読書や映画もいいけれど、今の時期はだんぜんウォーキング。春の陽気をカラダに取り込むようにしています。

冬と夏の折り返し地点‥『春分』 | 暮らしのスイッチ

心を動かすこと・動かさないこと

動かすこと

身体を動かすことで心の「あたふた・モヤモヤ・イライラ」を解消します。身体を動かすことでそれらをきれいサッパリ流してスッキリさせます。どうしても心にはアップダウンが発生します。なるべくフラットに過ごしたいとは思っていても難しいものです。身体を動かすことのほかにも、私の場合は掃除や料理でそれらを解消します。家もピカピカになって料理も品数が増えて一石二鳥です^^。

動かさないこと

なんでもかんでも「わたし」が「解決」しようと考えていた節があります。

たとえば

  • 家族のこと
  • 習い事の役員
  • PTAの係
  • 職場

わたしでなくてもいい。いつも「当事者」じゃなくてもいいんだ。

それに気づけたときにフッと力が抜けました。

こんなtweetをしていました。
そんなふうに思うことは無いんだ!と、突然肚に落ちたのです。(←いい加減もうホントいろいろ気づくの遅い)
いつも全力で与えられた課題に取り組んでいるような日々だったのです。ホントに。それが自分だけの役割でなくても、ものすごく考え込んでしまう。そりゃ『気』も消耗するはずです。もちろん何かに取り組むことそれ自体は悪いことではないんだけど、私でなくても解決できることまで引き受けてしまう、引き受ける人がいるとそのまま頼まれて続けてしまう、そういうキャラ立ちになってしまうという連鎖が続く。自分じゃなくて良いことをわざわざ背負い込まない。まだまだ全方位に「いい人」と思われたい自分がいるなあ、とおもいます><;あんなにエッセンシャル思考読んだのに。

こういうの、みんなどこでおぼえるんだろう?
とにかく私はやっと「引き受けるものごとの区別を付ける」ことが体感できたのでした・・・

活動・行動 次の企画

今月末に発売予定の電子書籍の詰め作業と同時に、次はこんなことを書きたいなと思うことを温めています。(あ、出版が決まっているわけではなく自分で考えていること・・・です!)

家事と時間の使い方を絡めた内容を書きたい。家事は単体として「掃除の本」「料理の本」「家計の本」「育児の本」とありますが、それらをどういうふうに運用していくか?という横のつながりがないなあ、と感じたのです。自分が日々暮らしている中で「これはよかった!」という工夫をシェアする本を書こうとしています。ふだん意識しないで一日の中に組み込んで過ごしてしまうものごとを現在見直し中です。

家事について思うことをこんなふうにメモ書きしていました。

ひとつの家庭の中で昇華されておしまいで再生産されるルートがとても少ないのが家事・育児ということがらの特徴。「よそはよそ、うちはうち」というようによその家庭のものごとには踏み込まない、という暗黙のルール。あまりワイワイとネタにするたぐいではないかんじで。(気の置けない友人はのぞく)さらに、家庭ひとつひとつで家族構成も、経済状態も、習慣も・・・どれをとっても同じ家庭がないので一般化ができない。それらをふまえて、取り入れやすいことがらを考えていきたい。

我ながら難しいチャレンジですが、コツコツ準備をしています。
単体の方がわかりやすいのかな?やっぱり・・・など、いろいろ思案中です。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク