子供に対して親が出来ることに悩まない・・・ことはないからちょっとだけ気持ちをラクにするために

誰も完璧に満足させることはできない

どんなに親が子供に良かれと思って与えた環境であっても、子供にとってはそれが生まれてからずっとあたりまえに「ある」環境なのでそれに感謝もなにもない。もちろんされたいという意味ではなく子供にとって自然だ、という意味です。

例えば小さい頃からずっとエスカレーター式の学校に通うとする。
子供は「もっと他の世界が見たかった」「家の近くに友達がいない」と言うかもしれない。

例え公立小・中・高・奨学金を得てなんとか大学へ。
子供は「もっと他の学校に行きたかった」「私立受験したかった」と言うかもしれない。

どちらにしても、どちらを羨むというか『隣の芝生は青く見える』現象が起こるし、ましてや子供たちは思春期に入ればそれこそ中二病こじらせてもっとめんどくさく親にたいしてあーでもないこーでもないというだろう。

与えられた物事に最初に行うのは感謝より批判なのはどんな子供も通る道だと思う。
そしてそこをバネにして他者から与えられた環境を吸収したのちに、自らの成長を促し、さなぎから蝶となるのだろう。

これを書いている張本人の私に至っては大人になってしばらくしてからも『親は妹の方がかわいいんだろう』『わたしはほっといてもいい存在なんだ』というこじらせ方をしているのでなにをかいわんや、なのである。
子供は子供時代に成長しきるわけではなく、成人しからも社会にもまれて成長するし、親がすべてお膳立てして不備のないように社会に出すわけではない。20歳まで養育し、基本的な生活が出来ることを整えればいい。
親子とて、別の人間で感情がある。すべてを満足させることは不可能なのだから、自分が出来るベストでいることしかできない。そのベストだって尽くせないこともある。にんげんだもの(のりを)

今。
新入学、新入園、新学年がおちついて、学校や幼稚園からあれこれ習い事のチラシが配られていることだと思います。
習い事ひとつとっても親は子供の向き不向きを考え、時間を捻出し、資金を計算する。そして子供のためを思っていない親はいない。だから考えるし悩む。
でも、どんなに悩んでも各家庭で出来ることとできないことに限界はあるだろう。
子供がやりたいと言ったものを片っ端からできればいいけどそうでないこともあるだろう。
結局何をしても与えても、子供は親というテンプレを一旦否定してから成長するものだからもう少し気持ちを軽くしていいんじゃないか?と、ふと考えた日曜の朝でした。

子供が何か言うたびに気持ちが揺らぐと結構キツイので(私が昔そうでした)自分が出来る範囲をあらかじめ決めておいて親の無理がないようにしておくことが結果的に子供たちのためにもなると私は考えています。親がいつもニコニコしていることが子供はやっぱり嬉しいみたいです。

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