私が私のために叶えてあげること

「こういう暮らしがしたい」「こういう私になりたい」「こういう服が着たい」

理想はあるのに届かない。届くことはない。

いつもそれはあくまで理想であって理想なのだからそれは私にはたどり着けない夢の話だと考えていた。頭の中でこねくり回している想像の産物であってそれは実現することはないのだと考えていた。

例えば理想の朝食はたっぷりのフルーツにトーストとコーヒー。レタスやトマトなんかの簡単なサラダと卵かハム、ベーコン、チーズなんかのたんぱく質を少し。できればあったかいスープがあればうれしい。

・・・コレ、できるよね?

買い出しの日にフルーツをいつもより種類を増やして買った。柿、りんご、みかん、バナナ。一つのお皿にたっぷりと盛る。サラダ用の野菜は普段食べるストック野菜からピックアップ。ちぎったキャベツがあったからレンチンしてドレッシングをかける。卵はゆで卵にしておけば朝作らなくていい。こじゃれたチーズじゃなくてベビーチーズだって6Pチーズだっていい。コーヒーはいつも入れてもらってるからオーケー。スープは前の晩に多めに作っておけばいい。なんならインスタントで十分だ。どうしてこれを実現させてみようと思わなかったんだろう。やってみたらそんなに難しくなかったし、むしろ気持ちよく朝を過ごせるし家族はみんなおいしそうによく食べてた。

朝はいつもイライラバタバタしていてトーストとコーヒーでサッと済ませるものと思い込んでいた。私はいつも冷めたパンを最後に食べていた。子供達には多少おかずは作っても自分のためにフルーツだなんだって用意する余裕なんてないと思っていた。

そう。「自分のために。」

何度となくこのブログにも書いていると思うのだけれど、私は自分のために何かをするのが多分とても苦手だ。誰かの期待に応えることや望まれているであろう、とおもうことをするときはものすごい行動力を見せるけれど、自分が自分のために何かをすることに時間と(とくに)お金を使うことはすごく抵抗がある。

朝食ひとつを取っても誰かのリクエストでパンケーキを作るのはまったく抵抗はないけれどこれが自分のためにとなると一気に減速する。それでいて、自分をないがしろにしていることを心のどこかでみじめにも思っている。それを自分で選んだにもかかわらず、だ。

自分の理想の朝ごはんが意外と簡単に実現できたことで、「理想」という言葉を間違って使っている自分を見つけた。「理想」は実現できない想像上の出来事ではなくて、自分が行動をおこせば実現できるうるものもある。そこに近づけるために行動を起こせばいいこと。完全ではなくてもそこに近づけることはできる。ただそれを頭の中や手のひらで眺めるのではなくて、日々の行動に落とし込んでいけば実現できる種類もあるのだということがわかった。

叶えらないものもあるかもしれないけど(理想の彼氏とかねw)行動に移して実行できる範囲のものはじゃんじゃんやればいい。自分の中の小さな理想をつぶさず、行動に移して実現させる。すごく気持ちよく日々が過ごせる。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク